2014年9月21日日曜日

「叱ってくれる人」を大切にしましょう

最近の体験から学んでいることの一つは,「叱ってくれる人」を大切にしなければならないということ。

年をとっていくと,だんだんと周りの人は自分のことをちやほやするようになり,誰も叱ってくれなくなります。教員,指導者,高齢者など, 尊敬を集めやすい立場の人に起こりやすい現象です。

「耳障りな言葉」から耳をそむけ,そのような人との付き合いを断ち,「耳あたりのよいこと」を言ってくれる人とばかり付き合うようになると,一時的には気持ちよく過ごしていられます。しかし,「耳あたりのよいこと」ばかりを言う人は,間違ってしまったとき「あなたは間違っている」と言ってくれません。自分のあらゆる判断が,すべて自分自身のみに委ねられます。しかも気持ちよく過ごしていますから,間違ったことを「気持ちよく」やってしまうのです。それはとても恐ろしいことです。まるで裸の王様です。

そもそも「叱る」というのは大変なことです。叱るという行為はとても難しいことです。「叱るのは難しい」と感じたことが,あなたにもあるでしょう。 叱るという行為は,嫌な人だと見られてしまうかもしれない,その人との関係を壊してしまうかもしれないというリスクを伴います。叱るためには,そのリスクを抱えながら,自分自身の存在を大なり小なり賭けてその人に体当たりでぶつかっていかなければなりません。それはとてもエネルギーを要することです。

「叱ってくれる人」というのは,あなたと距離が近く,自分の存在を賭けてでも叱ってよいと思ってくれている人です。「耳あたりのよいことばかり言ってくる人」というのは,あなたと距離の遠い人です。なぜなら,その人が間違っていようがどうなってしまおうが,どうでもいいからです。あなたと近い距離にいてくれる,叱ってくれる人を大切にしましょう。

ただし,気をつけなければならないこともあります。世の中にはとても理不尽なことを言ってくる人もたくさんいます。そのような人を,大切にする必要はありません。必要に応じて戦うか,またはエネルギーの無駄ですからさっさと逃げましょう。

そこで私たちに必要なのは,「叱ってくれる人」と「理不尽な人」を区別する賢さです。おそらくその道しるべになるのは,その人があなたのためを思って言っているのか,自分のために言っている(たとえばただイライラしていてそれを解放したかった等)のかだと思います。叱られたら,一呼吸置いて,いったいどちらなのかを冷静に考えてみましょう。

人間にはさまざまな側面があります。叱られたときは,その人のことを「叱ってくる怖い人」として認知しがちですが,それはあくまでその人の一部分です。一呼吸置いて,その人全体を感じ取ってみて,その人と付き合って,または付き合わないでいきましょう。

ちなみに,最近こういう記事をときどき書きますが,この手の記事は自分のために書いています。「あなた」というのは私自身のことです。