2017年7月26日水曜日

迷う力

僕が言うまでもないことですけど,僕は臨床の場面では「迷う力」が必要だと思っています。

人を理解する上で,何かしらの結論を出すことができれば,すっきりします。だけど,人なんてわかりっこないです。どれだけわかったつもりになっていたとしても,絶対にわかっていないのです。だから,少なくとも臨床の場では,迷いながら,すっきりせず,なんだかもやもやしているほうが正解なのです。わからないからこそ,もやもやするからこそ,「その人のことを理解しよう」という姿勢が生まれるのだと思います。そのもやもやを,もやもやのまま"置いておく"力が臨床には必要です。

人を理解する上で,理論はとても有用なものです。しかし,理論には人を「わかった気にさせようとする」力があります。それは甘い誘惑です。「わかった気に」なったほうが楽だからです。しかし,「わかったような気になる」ことはとても危険です。もやもやをもやもやのままにしておくことに耐え続けることは,明らかにエネルギーを多く消費しますし,決して経済的ではありません。それは,「無駄を省く」発想とは相容れないものです。

現代が「無駄を省く」発想こそが尊ばれる時代だからこそ,一見エネルギーの無駄でしかない「迷う行為」が貴重なのです。せめて臨床家ぐらいは大いに迷いましょうというのが,僕の臨床家としての考えです。これは,「専門家ならなんでも知っている」というような,一般的にイメージされる専門性とは大きく相反するものかもしれません。しかし,そういう専門性だってあるのだというのが僕の主張です。