2016年2月28日日曜日

Beeboxの赤外線リモコンをUbuntu 15.10で使う

Beeboxの赤外線リモコンがそのままでもある程度は使えたんだけど,[OK]や[次の曲],[前の曲]ボタンなどが使えなかったのでメモ。あと [パワー]ボタンがサスペンドに割り当てられているのですが,サスペンドの復帰から失敗するっぽいので,電源ボタンを押した時と同じ挙動にします。
っつってもほぼここのまんまです(手抜き)。
$ sudo apt-get install git automake autoconf pkg-config xcb-proto xutils-dev libtool xserver-xorg-dev libudev-dev libevdev-dev
$ git clone git://www.thenautilus.net/xf86-input-evdev
$ cd xf86-input-evdev
$ git pull git://www.thenautilus.net/xf86-input-evdev code-remap-2.8.2
$ ./autogen.sh
$ make
$ sudo mv /usr/lib/xorg/modules/input/evdev_drv.so /usr/lib/xorg/modules/input/evdev_drv.so.orig
$ sudo cp ./src/.libs/evdev_drv.so /usr/lib/xorg/modules/input/evdev_drv.so
$ vim /usr/share/X11/xorg.conf.d/99-evdev.conf
とかして次のように書き込みます。
Section "InputClass"
    Identifier "RF remote"
    Driver "evdev"
    Option "Nuvoton w836x7hg Infrared Remote Transceiver" "/dev/input/event4”
    Option "event_key_remap" "207=172 412=173 119=172 407=171 142=124 174=9 352=36"
EndSection
再起動すると,次のような挙動になっています。
  • [パワー] -> サスペンドではなく電源ボタンを押した時の挙動に。
  • [OK] -> Enter
  • [←] -> Esc
その他のキーは見たまんまの挙動です。
ってリモコンとかめったに使わないのに,なんでこんな必死になって設定したんだろう……。お昼ごはん食べましょう。

2016年2月27日土曜日

ASRock Beebox N3150/W/BB


買っちゃいました。いつポチるか、いつポチるかと悩んでいましたが、ついカッとなって。我が家のAV環境の最後のパーツですね。引っ越しして1年以上経って、ようやく買いました。250GBのSSD8GBのメモリを入れています。
プロデューサーさん、NUCですよ、NUC! 小さいPCは正義。熱対策として、下蓋とSSDとの間に切ったスポンジをかませています(参考)。
Ubuntu 15.10をインストール。何の問題もなく使えています。UbuntuだけでなくArchとかもサポートしているのがポイント高いです。萌える。
ひっかかったのがHDMIセレクターで、 こいつをかますと出力してくれないんですよね。おそらく相性問題だと思います。UEFIをいろいろいじってみたけどだめ。あきらめて、HDMI→VGA変換器をかましてD-Sub接続にしました。音声もこの変換器からとってスピーカーに直接流しています。
この変換器を通すとなぜか音声出力が左右逆に。このあたりを参考に、HDMIからの音声出力を入れ替えました。具体的には
$ mkdir ~/.pulse
$ cp /etc/pulse/default.pa ./
$ vim ~/.pulse/default.pa
として、末尾に
load-module module-remap-sink sink_name=reverse-stereo channels=2 master_channel_map=front-right,front-left channel_map=front-left,front-right
set-default-sink reverse-stereo
と書き、
$ pactl exit
としてPulseAudioを再起動します。
このBluetoothキーボードで使ってますよ。初の英語キーボード。慣れなきゃ。
あー、ほしいもの買ってすっきりした。

2016年2月21日日曜日

標語を疑おう

今朝ぼんやりテレビを見ていると,山口のローカル番組で「家庭の日」について説明していました。番組曰く,「家族で食事をとっていますか? 食事を取りながら,家族でコミュニケーションをとりましょう」と。
えーっと,この画像を貼ればいいですか?
おまえは何を言っているんだ
「家庭の日」について調べてみたところ,こんなことが書かれていました(山口県の条例なんですね)。
家庭では、
家族がふれあう時間を共有し、コミュニケーションを図ることができるものであれば、何でも構いません。各家庭で子どもの年齢等に応じた様々な取組が考えられます。
《例えば》
・家族で夕食を共にし、家族みんなで後片づけをする。
・テレビをつけない、テレビゲームをしない日とする。
・家族そろって、イベントやスポーツを楽しむ。
・一人暮らしの方は、離れて暮らす家族に電話し、会話の時間を持つ。
おまえは何を言っているんだ
こういう仕事をしてると,いろいろな家族とお会いします。世の中,順風満帆な家族ばかりではないです。「家族で夕食を共に」しないからこそ生きていける子どもさんもいますし,「テレビをつけ、テレビゲームをする」ことでなんとか毎日を過ごしていけている方々もたくさんいます。その人たちに対して,こういうことを伝えるのは害悪でしかないです。
そもそも,個人が心がけただけで「夕食を共にし、家族みんなで後片づけをする」ことのできる家族はそんなに困っていないと思うんだ。夕食を共にさせたいなら,景気をよくしてください。
似たようなところでいうと,学校の「みんな明るく元気な子」という標語は「じゃあ暗くて元気ではない子どもは学校に来てはいけないのか」という話になってしまいます。これくらい,ちょっと想像力を働かせただけでもわかると思うのですが。
頼むから,好きに生きさせてくれよ……。

2016年2月20日土曜日

Ubuntu 15.10環境にStrutをインストールする

Strutimpress.jsBespoke.js等をGUIで編集するWebアプリです。かっちょいいですね。
まずはNode.jsをインストール。
$ curl -sL https://deb.nodesource.com/setup_4.x | sudo -E bash -
$ sudo apt-get install nodejs
npmのバージョンを上げておきます。
$ sudo npm install -g npm
次にStrutを以下の手順でインストールします。ここを参考にしました。
$ sudo npm install -g inherits grunt grunt-cli
$ git clone git://github.com/tantaman/Strut.git
$ cd Strut
このままnpm installといきたいところですが,grunt-mochaをインストールするところでこけました。そこでpackage.jsonを編集します。
$ vim package.json
“grunt-mocha”: “~0.2.2”,
の行を次のように書き換えます。
“grunt-mocha”: “~0.4.11”,
これでインストールできるはずです。
$ npm install
使用するには
$ grunt server
で起動し, http://localhost:9000 をブラウザー(Chromiumなど)で開きます。
かなりよさげなものの,現状では画像を挿入するとimgurにアップロードしちゃうんですな。うーむ。

(2016/02/22 10:38追記)
Ubuntu 14.04環境でも同様の手続きでインストールできました。スライドはしばらくStrutで作ってみますかね。

2016年2月18日木曜日

【告知】2月23日に「オープン・ダイアローグ上映会」をやります

2/23に,地域臨床研究会の定例会として,オープン・ダイアローグの上映会をやります。YouTubeのビデオを流すだけですが,上映後,参加者同士でディスカッションします。前から観たい観たいと思っていたのですが,せっかくなのでみんなで観ようかと。時間もできてきましたしね。

オープン・ダイアローグは,フィンランド発の,統合失調症などへの画期的なアプローチとして注目されています。「場作り」やグループ・アプローチ,家族療法等に関心のある方には特におもしろいと思います。お時間のある方はぜひぜひ。

フライヤー

観るビデオはこれ。

2016年2月11日木曜日

アクティブ・ラーニングについて思うこと

「アクティブ・ラーニング」は,文部科学省の用語集[PDF]では次のように定義されています。
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。
教育学にはさっぱり詳しくないのでよくわからないのですが,そもそも教員は学生をactiveにさせることなんてできるのでしょうか?
講義におけるグループ・ディスカッションやディベート,グループ・ワークなどへの強制的な参加がもたらす弊害を,随所で耳にしますが,そもそもグループ・ディスカッションやディベートは学生をactiveにするのでしょうか?
講義内容に関心を持つことができれば自ずと人はactiveになるでしょうし,持たなければpassiveになるでしょう。関心を持てないにも関わらず,activeであるよう仕向けさせることに,いったい何の意味があるのでしょうか? 「その分野に関心が持てない,エネルギーを出せない」ことがわかっただけでも十分に一歩前進なわけで,passiveであることはそんなにいけないことなのでしょうか?
それはただ,教員の都合なのではないでしょうか? 学生がactiveにディベートしている様子を見て,教員が自己満足に陥っているということはないのでしょうか? まるでケンカした子ども同士を終礼時に「お互い『ごめんなさい』って言いましょう」とかたちだけ言わせて問題が解決したと言わんばかりの教員のように。
そもそも「認知的,倫理的,社会的能力,教養,知識,経験を含めた汎用的能力」は大学で育むべきものなのでしょうか? 結果的に育まれることはもちろん大いにあるでしょうが,それを第一の目的とするものなのでしょうか? アルバイトだって,サークル活動だって,普段の友達付き合いだって,恋愛だって,そういう能力を育むはずです。学生の,学業以外の活動を,信頼できないのでしょうか? 「その人が打ち込めること」は大学が用意するべきことなのでしょうか? 学生が,個人が,何に打ち込むかを自分で選び,進んでいってはいけないのでしょうか?
そもそも,その育成を目的とすること自体,あらゆる活動や生活の本分を見失わせるものなのではないでしょうか? 我々にはそんなに能力を鍛える必要性があるのでしょうか? 個人が能力を鍛えないと生きていけない社会こそ悪であり,そもそも設計を間違っているのではないでしょうか?