その文明の豊かさというものは、(短期的には)実利のないところにどの程度お金をつぎこめるかどうかで測れるものだと思うのだけれど、世の中は真逆の方向に進んでいるよね。よほど貧しくなりたいらしい
— たかし (@oshie) 2014, 10月 16
大学は遊び場だと思うけどなあ。学問で遊べるプレイグラウンドをいかに用意するかが僕の仕事だと思ってる
— たかし (@oshie) 2013, 12月 23
一見無駄なところにいかにお金をかけられるかがその文明の豊かさを決めるというのは,確か椎名高志先生が言ってたんだったかなあ。はっきりとは覚えていないけど,この考えに完全に同意します。
これは別にエンターテイメントに限った話ではないです。いまの自分の職業生活にあてはめて言うなら,大学だってそう。私の考えでは,大学は「何の役に立つか」は二の次として,そこで学生が「遊べる」場であるべきです。
ここでいう「遊び」は,いろいろな意味を含みます。難解な本にチャレンジすることも,研究に打ち込むことも,クラブ活動に熱中することも,友達とくだらないおしゃべりに夢中になることも,一人でテレビゲームばかりプレイすることも,(当時の私はろくにできませんでしたが)異性とデートに興じることも,すべてここでいう「遊び」です。
遊びはクリエイティビティの源ですが,必ずクリエイティブになれるということを保証するものではありません。遊びを通してクリエイティブになれるかもしれませんし,なれないかもしれません。そもそも,クリエイティブになることを目的に据えた途端に,それは遊びではなくなります。しかし,「遊びがないとクリエイティブになれない」のは確実のようです。
そして,それが可能となるようにするのが,私たち大人の仕事です。私の考えでは,一見くだらないこと,何の役にも立たないような,どんな遊びをも尊重し,認め,それに夢中になれるような場を用意することが大人の仕事なのです。
一見すると役に立たない,社会人としてのスキルに直結しない,このような「遊び」を「無駄」と呼ぶのは,私にとっては大人のすることではありません。極めて短絡的で,野蛮で幼稚な所業にしか思えないのです。