/etc/default/grub
にGRUB_GFXMODE=1200x1920x32
GRUB_GFXPAYLOAD_LINUX=keep
GRUB_CMDLINE_LINUX="acpi_osi=Linux"
sudo update-grub
することで直りました。/etc/default/grub
にGRUB_GFXMODE=1200x1920x32
GRUB_GFXPAYLOAD_LINUX=keep
GRUB_CMDLINE_LINUX="acpi_osi=Linux"
sudo update-grub
することで直りました。![]() |
シュテファン大聖堂 |
うちはケンカは弱いから、しなくてもいいようなことをするんや— 山内 溥 bot (@YamauchiHiroshi) 2018年7月10日
演題: コミュニティのための無条件の肯定的関心への挑戦: 病理参照枠を超えて希望を育むために私は数多くのボランティアスタッフとともに,不登校や発達障害により学校生活が困難な子どもたちのための「コミュニティプレイセラピー(CPT; 押江ら,2015)」に参加しています。私はCPTにおいてパーソン・センタード・セラピーの中核条件を提供しようとしてきました。このプレゼンテーションではその中でも「無条件の肯定的関心(UPR)」を中心に取り上げます。一般的に「不適応」とみなされる子どもの問題行動は,CPTでは必ずしも問題とはみなされず,自由な行動が許容されます。このような経験を積み重ねた結果として,子どもの「不適応」行動が改善される場面を目撃してきました。技術が発達し、様々な病理学的メカニズムが次々と解明される私たちのコミュニティでは,多くの問題行動が病理学的モデルによって説明されます。たとえば本田(2013)は,日本では10人のうち1人が自閉症スペクトラムの特性を持っていると主張します。自閉症スペクトラムの視点から社会的コミュニケーションの困難を説明できるのは事実でしょう。しかし大石(2016)は,行動を病理とみなす視点が,人々をますます病理へと追いやる可能性を指摘しています。Lietaer(1984)は,他者から条件つきの肯定的関心を受けた結果として価値の条件を獲得したクライアントに対して「逆条件づけ」としてUPRが機能していることを論じています。私の経験からUPRは,病理モデルによって条件づけられたこの時代のコミュニティに対する逆条件づけとして,ますます重要になってきていると思われます。
僕の中でずーっと続いているテーマのひとつが、専門家とか専門性とかって何さ? ということ。
大学に就職してみたり、いわゆる専門家と呼ばれる仕事を現場でしてみたりして、ようやくわかってきたのは、その意味はひとりひとりずいぶん違うらしいということ。同じ言葉を使っているのに考え方がまったく違う人とたくさん出会ってきて仰天したものだ。
だとしたら、自分なりの答えを出すしかないんだけど、最近なんとなくそのあたりが言葉になってきた。
まず自分は、専門家云々以前に、「この人はこういう人だ」というように規定されるであろうフレームを警戒しているところがあるらしい。「心理の専門家だからやさしい人だろう」とか「大学の教員だから真面目なんだろう」とか、そういう目で見られたくない。「結婚はこういうものだ、こうするものだ」とか言われてもピンとこないし、すごく抵抗がある。そこにはどこにも自分がいないし、とても困ってしまう。自分は自分でしかないし、それ以上でも以下でもない。自分を他の誰かのように見ないでほしい、そういう欲求が自分にはあるようだ。それが幻想であることも理解しているつもりだし、そのフレームで受け止められることで得していることが多々あることを理解する程度には大人であるつもりなんだけどね。
じゃあ、自分はどうありたいんだろう? 世の中で言うところの専門家というのは、いろんな意味あいがありそうなんだけど、観察を通して、総じてシュッとしてる人らしいことがわかってきた。利口で、問題を正しく理解して、正解を言える人。困っている人を正しく導いてくれる人。いま流行りの資格論議も、誰がいちばん正解を言えるのか、みたいな話になっているような気がする。
だけど、そもそも人生に正解はないし、嬉しいことと同じぐらい悲しいこともあるし、落ち込むときは落ち込むし、そのどれもが人間くさいように感じる。どんな場面であっても、どんな状況であっても、人生は紡がれていく。「この世界の片隅に」を見ていても、そんなことを感じたよ。
どんな気持ちを持っていても、「ああ、それってわかるよ、そりゃあそんなことがあったらそんな気持ちにだってなるわねえ」と、心の底から感じてそれをお伝えできるような、そしてその方が自分の人生を紡いでいかれるその傍らにいられるような、そんな人に、僕はなりたいんだろうなあと思う。
いくら勉強しても自分にはシュッとしたことは言えんし、とても人を導いていくなんてことはできないけど、そもそもシュッとしていることは自分の持ち味ではないと思うんだ。シュッとしてなくたって生きていけるよ、ぐらいに思っている節が自分にはあるわけで。
ここのところ、こんなことを感じていて、それで「専門家というのはかくかくしかじかができる人だ」というような議論にうんざりしてきているんだろうなあと思っている。
vim message.py
などとして以下の内容を入力します:#!/usr/bin/python2
# -*- coding: utf-8 -*-
print u'\u0049\u0020\u0067\u006F\u0074\u0020\u006D\u0061\u0072\u0072\u0069\u0065\u0064\u0020\u0074\u006F\u0064\u0061\u0079\u0021'
$ chmod +x message.py
$ ./message.py
sudo apt install xsel
でxselパッケージをインストールしておきます。次にvim ~/bin/nowplaying.sh
とかして #!/bin/sh
format=`rhythmbox-client --print-playing-format="%tt by %ta from %at"`
echo -n "#NowPlaying" $format | xsel --clipboard --input
chmod +x ~/bin/nowplaying.sh
を実行します。これでnowplaying.shを実行すれば,Rhythmboxで再生している楽曲の情報をクリップボードにコピーすることができます。Twit Side等のツイート欄に貼り付ければ,#NowPlaying をツイートできるという手はずです。